アルゴリズムが世界を支配するなら

プログラムが音楽、医療、人物の判別に使われてきたらしい。

でも、どんなプログラムで、どんなアルゴリズムで、具体的にどんなことをしているのか。
何を判別し、判断し、決定付け、実行に移しているのか。
私たちが知らないところでどのくらい動いているのか。

それらのことについて、私は何も知らないし、影響を感じてない。
それでも、その知らないところで確実に進出していきているらしい。

どうやら、この本の作者はアルゴリズムが。
つまりはプログラムが世界を支配する未来がやってくるぞと言っている。

 

そんな未来が想像できる?


いやー、無理無理。
だってプログラムは人が作るものだし。
プログラムは人が設計したこと以上のことはできないんじゃないだろうか。


世界を支配するということは、人にかわってプログラムが動くということなのだろうか。
支配されるということは、人を超えたプログラムが開発されるということなのだろうか。
プログラムを複製することなんて簡単だ。
もし人を超えたプログラムが作られたなら、たちまちに広がっていき人の出番はなくなるだろう。


でも、本当に?

本当に、本当に、そんな将来があるのだろうか。
できることなら考えたくない。
自分の役割がなくなってしまいそうで。

 

でも、どうやら数十年以上も前からのこと。
人の話す言葉から分析しようと試みられていた。
どんなパターンの人物であるかを。
プログラムで判別しようとしていたんだと。


例えば電話でのこと。
何かの問い合わせに電話を使うことってほんとに多い。
電気や水道開通の問い合わせ。
電化製品について困ったときのメーカー問い合わせ。
いろいろなことで電話を使う。


「品質向上の為、お客様との通話を録音しています」


こんな自動音声を聞いたことってありません?


もう、何度も聞いて耳タコ。
でもこれってアレだ。
なんか悪いクレーマーとかがオペレーターさん傷つける言葉言ったり、脅しのようなこと言ってくる人がいるから証拠残しておく為のものでしょ。


はい、出ました!
ここで出現するのがプログラム!
電話を通してあなたの情報が抜き取られます!
名前や個人情報は必要としない、話し方や声から判別するプログラムが裏で暗躍している。


蓄積された膨大なデータ。
あなたという人物がどんなパターンの人なのか。
その膨大なデータを基に判別される。


そして会話途中のオペレーターに伝わる。
今電話口の向こう側にいる人は、納得できるような説明を丁寧に優しく繰り返して説明しなければならないパターンに当てはまるのだと。


会社によっては中継オペレーターにつないでから担当につなぐ。
この時の中継オペレーターとの話し方や声で、人物パターンが判別される。
プログラムを使って。


あなたへの最適な対処方法ははっきりと出ている。
だから、最適な担当者に電話を転送することができる。


問い合わせをされる側に立って考えてみる。

自動音声で、問い合わせ概要に該当するナンバーを押してくださいっていうアレ。
アレがどれに該当するか分かりづらくした方がいいのかもしれない。
わざと別担当のオペレーターに電話がつながるようにする。
問い合わせをしてきた人のパターンを先に認識できる。
そして最適な担当者に電話を転送する。

感情的な傾向のある顧客はA担当へ。
思考重視的な傾向のある顧客はB担当へ。
電話をかけてきた人物のパターンをプログラムで分析する。
プログラムが出した結果に基づいて最適な担当者へ転送する。
たったそれだけだ。
最高だ。


こういったプログラムによって、問い合わせ電話での通話時間が50%も削減されることになったらしい。
経営者にとっても、顧客にとってもより良い形がプログラムによって形成されているのだ。
すべてはプログラムが導いた結果だ。

 

世界トップレベルの頭脳の持ち主、理論物理学者のスティーブン・ホーキング博士が、
『短期的には人間の職を奪うという懸念、長期的には存在を脅かす脅威としての人工知能の可能性がある』と話したそうだ。


人の感情に人工知能が敵うわけないとは思う。
でも、人物のパターンは10年以上も前から完璧にプログラムで判別できている。
そして人の感情を超えるなんてことは必要ないのかもしれない。
人が判断するよりも適切な判断をすることがプログラムには可能で、プログラムには人にとって代わることを求められている。


今はそんな時代だ。


ミスをする人間。
着実に命令をこなすプログラム。


どちらに分があるだろう。


プログラムには恐怖心はないし、プレッシャーもない。


その点、人には感情がある。
その影響を受けたミスも多い。
人は最初から成熟されることはない。
技術や知識を詰め込む必要がある。

そして、経験を積む上でのミスもある。


プログラムがミスをするとしたら、それはプログラムを作った人のミスだ。
その人のミスによって、プログラムは全力でミスをする。
ミスを続け、停止スイッチが押されるまで止まらない。


どちらに分があるだろう。

人はイレギュラーなことに遭遇した時に、経験を基にした判断をする。
焦って間違った判断をしてしまうかもしれない。
もしくは何もできず、固まってしまうかもしれない。
多くの場面で、人は想定外のことに対応できないことの方が多いんじゃないだろうか。


プログラムはイレギュラーなことに遭遇した場合はエラーを吐き出す。
ただ、そのプログラムに経験がなくても問題はない。
世界中から集めた歴年の膨大なデータを基に判断できる。
とある人にとってはイレギュラーでも、世界中を探せば誰かが経験済みかもしれない。
もし経験済みであれば、それはデータとして蓄積され、プログラムの判断材料として使われることになる。
そう考えると、果たしてプログラムはイレギュラーなことに遭遇することがあるのだろうか。
あったとしても、成功する確率の高い対処法から順に実践し、失敗を重ねつつもその失敗をデータに蓄積し一瞬で学習し、遂には成功を収めるのではないだろうか。


医療の世界にもプログラムは進出している。
100人の医者が1人の珍しい病気を判別できなかったとする。
しかし、前例があるのであれば、それをプログラムは見逃さない。
膨大なデータから、その患者の特徴から、人間よりも速く正確に診断結果を出す。


アメリカでは、今から10年も前からロボットで手術を行ってきている。
人間の手では不可能な動きをロボットが実行する。
ロボットもプログラムで動く。
10年前から使われている医療用ロボットは人が操作するものになっている。
今はまだ、ロボット利用による手術ミスが起きている。
しかし、医療業界にプログラムは確実に進出している。
将来的には100%人が手を出さずに機械だけで手術することになるのかもしれない。
そんなときにどうするだろう。


私たちは診療を重ねて信頼できる医者に治療を頼るべきなのだろうか。


それとも、世界中の医者の経験や知識を即座に取り出せるプログラムに委ねるべきなのだろうか。
今はわからないけれど、将来的には判断を求められるかもしれない。


「あなたの手術の成功率は10%です。でも機械が、プログラムがやれば60%になります。どうします?」


最近では、将来的には機械やプログラムや人工知能などに職を奪われるというニュース記事をちらほら見る。


それって、人にとってかわって仕事をしてくれるプログラムの開発が進んでいるってことだと思う。
きっとそうだろう。
人にしかできないことはあると思われがち。
でもプログラムがやった方がいいこともあるんじゃないかな。

 

音楽の好みは人によって異なると思う。
その好みを決めるのも、最高だと思える音楽を作るのも人だ。
もし、今自分の聴いている音楽が、最高だと思ってリピートしている音楽が・・・プログラムによって作られたものだとしたらどうだろう。
どういう印象を受けるのだろう。
作詞、作曲、演奏、ボーカル、すべてプログラム。


きっと衝撃だ。
最高だった音楽が最低になってしまう。
最低。
受け入れたくない。
そんなイメージ。


でも、その真実は隠したまま。
人に受け入れられる音楽なのか試してみたい。
すべてをプログラムで作った音楽。


人の好みって共通していたりする。
みんながダウンロードした音楽として、あるいはCDが買われたとして週間ランキングが発表される。
もしそのランキングから、ヒットする音楽の傾向やヒットしない音楽の特徴を押さえたプログラムがあったとしたらどうだろう。


音楽をヒットするかどうかを判別する。
もしくはヒットする音楽を作り出す。


実はこれも10年以上も前から実践され、結果を出していたらしい。
音楽をヒットするかどうかをリリース前に予想され、全世界でヒットした音楽がある。


ノラ・ジョーンズ

このアーティストのアルバムはヒットする確率がビートルズ並みという予想があった。
世に出る前に予想されていた。
プログラムによって。


そして20年以上も前の話し。
バッハ風の曲が音楽フェスティバルで演奏された。
聴衆は感動した。
しかし、それはプログラムが作った曲だった。
それを知った聴衆は驚愕し不満の声を上げた。


10年以上も前からヒットする音楽の判別。
20年以上も前から感動する音楽の創造。


プログラムが作ったと聞けば受け入れられないのは、20年以上も前からわかってる。
じゃあやるべきことは決まってる。


プログラムが作り出した音楽だとは知らせないことだ。


今の時代。
密かに人とプログラムが協力して音楽を作っているのかもしれない。
もしかすると。
プログラムだけで作った音楽も既に世に広がっているのかもしれない。


だとしたらどうしたらいいんだろう。
耳をふさぎ。
すべての音楽を受け入れないようにしたらいいのだろうか。


もし、自分が長年応援しているアーティストがいつの間にかプログラムが作った曲を歌っていたら。
それを拒否してしまうのだろうか。


プログラムはより良い結果を出す為に作られる。
プログラムは、他のプログラムを追い越すために作られる。
プログラムは、他のプログラムを出し抜くために作られる。
プログラム同士の戦いに人は置いていかれる。
プログラム以上のことができなければ、人はプログラムに勝ることができない。
プログラムより良いものを作れなくなってしまう。


プログラムは、アルゴリズムは世界を支配するのかもしれない。

そのときに、私たちはどこにいるのだろう。
職は人工知能を搭載したロボットに取られ、人はアルゴリズムが作り出す世界で生きていくのかもしれない。


でも。
だとしたら答えは簡単だ。
アルゴリズムを作る側の人になればいい。
引く手あまたなほど、エンジニアは常に募集されている。

ただ、アルゴリズムが新たなアルゴリズムを作り出したら、将来的にはエンジニアの立場も危うい。
アルゴリズムが新しいアルゴリズムを作り出すこと。
それが人工知能につながる。
人智をも超えたアルゴリズムが、アルゴリズムによって作られる。
こうなったら全力で取り組むしかない。


人、対、アルゴリズム


果たして逃げ切れるのだろうか。


アルゴリズムをメンテナンスする人は生き残るとは言われている。
それでも不安でたまらない。
だって、アルゴリズムをメンテナンスするアルゴリズムができるかもしれないし。
そうなったら支配されてしまう。


アルゴリズムを利用することを考えてみる。

例えば何かを作ろうとしているとする。
アルゴリズムが最適な方法や判別してくれる。

ただし、作ったものが競争に向かうものであるなら単純にはいかない。
同じアルゴリズムで作ったものが既にあり、そのアルゴリズムの作ったものを超えるものを作ろうとすることになる。
超えられてしまった側は、さらに後から出てきたものを超えようと新たなものを作り出す。
お互いがお互いを超えようと更新し、循環し、フェイクも含めた騙し合いや駆け引きも起こるだろう。


アルゴリズムが世界を支配するなら。
勉強して正しい知識を身につけ、より多くの経験を積んで技術を身につけ、正しい努力を続ければいい。
その覚悟も心構えもできていない人は取り残され、職を失っても仕方がない時代となるのかもしれない。
いつまでも今の仕事のままでいられると安心している場合じゃない。
私たちが知らないところで、アルゴリズムは私たちのいる場所に進出しようとすぐそこまで来ているのだから。


だったら、アルゴリズムが世界を支配するなら、時流のトレンドに乗り、一生勉強し続ける人になればいいんじゃないの?